さて日本に着いたはいいが、調子が良くない。
傷口は痛むし、心の傷も修復されず、いまいち全開バリバリで日本を満喫するというテンションになれなかった。
今回の帰国のメインイベントは、今度こそ日本で膝を治す、というものであった。
もうかれこれ2年以上も膝の痛みに悩まされていた。
膝を治すためなら、どんなことでもしよう。もはや手足を失うことすら厭わない。
そんな本末転倒なことさえ思うくらいの熱で去年通っていた病院に行き、ヒアルロン酸を膝に注射する治療をしてもらう。
ついでにちょうどいいからブラジルで手術をした時の股関節の糸をちょちょいと抜いてくれまいか、と頼んでみる。
本来ならブラジルで抜糸をしてからの帰国の予定だったが、(あいつのせいで)手術が延期になった関係上、期間的に全く無理だった。
一週間後くらいに日本で抜いてもらえ、と言われていたのだった。
足首のほうはまつり縫い状に縫われており自分でもイケそうだったので前日に友人夫妻の協力のもと、抜糸してもらった。
ちなみにその夫のほうは財布などを縫う器用な革職人だ。そんなには変わりあるめい。
股関節の方は縫い目が玉結びになっておりどうにもハサミが入らなかったのでいっちょ膝治療のついでに頼んでみることにした。
いきつけの整形外科の先生はちょっと変わった感じの方で、快諾して糸を取ってくれた後に、
『でもまだ糸が埋まって残ってるかもしれないけどね♡』
と冗談なのか本気なのかわからないことを言ってニンマリと笑った。
まあとにかくこの奇怪な膝先生を信じるしかない。
MRIを他の病院で撮り、半月板損傷であったことが判明するもやはり治療の方針は変わらなかった。
ヒアルロン酸を定期的に注入し、膝周りの筋肉を鍛えるというものだ。
他のクリニックにもMRIの写真を持って診療してもらったが、どこの病院に行っても治療の方針は同じだと思いますよ、と言われるばかりだった。
膝のヒアルロン酸治療は日本独自のもので、ブラジルで同じ治療をするのはできなかったのだが、筋力については自分でサンバやストレッチを教えたりバレエなど他の習い事もしているため、それなりにはあるつもりだった。
だが膝の件もあったので、この一年はもっと筋肉をつけようと“心弱き者たちの筋トレ部”というものを設立し、週3回の筋トレ活動に励んできた。
解説するとこの部は、ひとりではジムに通っていてもやる気が薄らいでくると「今日はなんか熱っぽい気がするからやーめとこ♡」と自分に言い訳をしてすぐ寝転んで肉まんとか食べてしまう心弱き者(私を筆頭に)を集めて「死ぬー!つらい~!やりたくないよ~!!」などと泣き叫び発散しながらも筋トレを地道に行う、という後ろ向きに見えて非常に前向きな部活動なのである。
<心弱き者たちの筋トレ部・部歌> 作詞・作曲 ミッキー吉野(うそ)
深~く刻まれたほうれ~い線 と~しには勝てない妙~齢の~
お~腹をへ~こませたいけ~れど ひ~とり~じゃで~きないポンコツさ
※嗚~呼~~ わ~れら~
わ~れらサンパウロ 筋~ト~レ部~~~♪ ※くり返し
まだ部の皆さまにも披露したことのない、以前から暖めていた本邦初公開の部歌である。音声で伝えられないのが残念だが、学校の校歌のような節でご唱和いただきたい。
と、このように、この1年は筋トレ部のおかげでかなり頑張った。なのにこれ以上筋トレを増やすのはもう私には無理だと心が折れかけた。
ヒアルロン酸を入れる治療を数週続けるも、以前一回目に水を抜いてもらった時のような手ごたえがまるでないのに刻一刻とブラジルに戻る日は迫ってくる。
整体院や半月板損傷を治すというはり灸院、謎のマンションの一室にある、手をいろんなところに当てるだけで治るというカイロプラクティックなど(これらは本当に友人が腰が治ったりと評判が良いところもあるのだが、短期間ではどうにもならない感じではあった)いろいろ行ってみるも良くなる気配が一向になく、私は困り果て焦っていた。
と、そんな時、お互い10代の時に知り合いしばらく音信不通になっていたものの最近Facebookで再会した友人に十数年ぶりに会うこととなった。
彼女と会ったことで、私は膝の最先端医療というものの存在を知る。