ブラジル・日本人サンバダンサーの華麗な日常

ブラジルに住む日本人サンバダンサーの全く華麗ではない日々

ブラジルコロナ禍の私の周りのごく私的な状況3

前回に話したモニーズィがこの家から完全撤退してしまった時期とちょっと時期は前後する話だ。

 

今回は同居人のアリソンに起こった辛い話になる。

 

このコロナ禍において同居人のペドロもモニーズィも実家に帰ってしまっていたので、その間しばらくアリソンと二人だけで暮らしていた。

アリソンは一番長くこの家に私と一緒に住んでいる。

本当に性格もいい子で、真面目で普段は冷静できちんとしている子なのだけれども、例えば私が急に思い立ち、よし、相撲を取ろう!とだしぬけに取り組みをしかけ、ちがう!まず塩を振るふりをしてから!そう、四股を踏む脚は開いてもっと高く上げる!!などとわけもわからない外国人の彼に無理難題を言い放っても、その度いちいち付き合ってくれ、汗をかきかき真摯に取り組みにノってきてくれた挙句、なんで急に相撲?と、その後に我に返ってお互いににゲラゲラ笑い合える、そんなとても愉快なナイス・ゲイだ。

 

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彼はブラジルの南の方の田舎の出身で大学院の過程を終え、都会であるサンパウロに歴史の先生の職を探すためにここに部屋を借りている。

 

コロナの状況もあるのか、彼の大学院をパスするための最終面接はリモートでやることになっていた。もう論文等は提出済みであり、あとはこの面接だけだと数日前から緊張し準備をして気合が入っていたので、私はせめて邪魔だけはしないようにひっそりと応援していた。

そしてその面接も無事通り、めでたく博士号を取れることが決まったので、良かったね!!、と私の隠し持っていた秘蔵のスパークリングワインを開けお料理を作り、一緒にお祝いをした。

彼は地元の友人たちとお祝いのリモート飲み会の宴をその日から真夜中まで飲み過ぎて朝方ゲロを吐いたりしながら二日にわたりどんちゃん騒ぎを繰り広げていて、本当に喜んでいて楽しそうだった。良かったね、そうそう、こんな時は心ゆくまで騒げばいいさ、と私は母のような慈愛に満ちた目で見守って過ごしていたのだった。

 

そんな翌日の昼前、吠えるような彼の叫び声が聞こえた。

 

私は自室でまどろみながら、ああ、彼はまだ浮かれはしゃいでいるのだなあ、、、良かったなあ、、とぼんやり思っていると、

ダンダンダン、と私の名を呼びながら部屋のドアを激しく叩く音がする。

 

普段はよっぽどのことが無い限りわざわざ部屋の前まで来て呼ばれることは無いので、寝ぼけつつこれは尋常ではないと思い、すぐに起き上がってドアを開けた。

 

そうすると、はあ、はあ、と、息も絶え絶えに彼は、

 

 

僕の、、僕の、、、弟が、、、、、死んだって、、、、

 

 

と、言った。

 

 

私も突然のことでわけがわからないまま、急いで部屋を出て居間に行き、彼の話を聞く。

 

バイクの事故で彼の弟が亡くなったと、さきほど親族から連絡を受けた、ということだった。

 

彼はいつもはきちんとしていて物腰も優しい子であるのに、わめきながら居間をうろうろし、たばこを吸おうとしてはそれを乱暴に床に投げ捨て、気持ちが悪い、と言って荒々しくキッチンに向かいガチャガチャと水に砂糖を入れたものを飲んで居間に戻り、ソファに倒れこんだ。

息ができず苦しいというので、これは明らかにストレスによる過呼吸だとビニール袋でスーハーしろと差し出しながらスマホで対処法を検索すると、今はビニール袋で息を吸い吐きする方法はお勧めしないと書いてあったので、とにかく数回深呼吸をしようと促し背中をなでる。

 

ひとまず一刻も早く実家に帰るべきだと調べてみるが、このコロナ禍において飛行機は便数が制限されている。バスで帰るのが最も早いが、それは8時間後、夜の9時過ぎの便しかなかった。

 

私が調べるまでもなく、彼の叔母さんも調べて既にそのバスのチケットを取ってくれたという。

 

起き上がってもせわしなくベランダに出たり入ったりしながら何度か携帯を見ていじり誰かと連絡を取っているその顔も青白くて本当に具合が悪そうだったので、見かねてとりあえず横になりなよとソファに促してはみたが、私が彼にできることが、何もない。

どうしたらいいかわからず、落ち着かせるためにカモミールティーに砂糖を混ぜたものを作って何度か差し出すが、3杯目に口をつけたところでもういらないと言う。

切れ切れに弟さんが亡くなった状況を語ってくれるも、要領を得ない。

彼はショックすぎて、信じられない、悪夢だ、これは悪夢だ、と唱えるようにつぶやきながら、その現実を受け入れることもできず、まだ泣くこともとてもできないよ、と苦し気に言う。

そんな彼を見ていて、苦しくて悲しくなって、泣くことすらできない彼の代わりに、というのはおこがましいのだけれど、私はたくさん泣いた。

 

ほんの3日ほど前に、そういえば兄弟の写真を見たことが無かったね、見せてよー、というやり取りがあり、そこにはとっても美人さんな恋人の横に写る幸せそうな、彼にそっくりな弟の姿があった。

 

この写真はまだ僕と似ていないよ、本当は僕らはもっと似ているんだ。

 

自分より年若い二十歳そこそこの、しかも自分に姿形もそっくりでずっと一緒に過ごしてきた弟がいきなり亡くなってしまうなんて、彼は一体どんな気持ちなのだろう。

せめて少しでも落ち着くようにと、横たわる彼の虚ろな身体をさすって、全身をマッサージをする。

食欲が無いので何も食べたくないという彼に、では、道中捨てても構わないからとバスの中で食べられるようにサンドイッチを作って持たせた。

彼の家まではここからバスで9時間かかるということだった。

 

私は基本役立たずなクソ人間ながら、彼に自分なりにその時に私のできる限りのことはしたいと心から思った。

が、実際には大好きな彼に気の利いた言葉のひとつも言えず、おろおろと立ちつくすばかりで、脳内では筋肉少女帯の“元祖高木ブー伝説”がリピートされる。

 

無力な俺はまるでまるで高木ブーのようじゃないか

 

ふざけているわけでは本気で、無い。

何もできず自分の無力さを痛いほど感じる場面に遭遇した時に、私のイカれた頭にはいつもこの曲が繰り返しオートリピートされてしまうのだ。

 

 

その後。

 

彼は弟を見送ったら一週間くらいでこの家に戻ってくると言っていたのだが、お母さんが心労で倒れてしまったのでもう少し実家にいる、と連絡があったきりで、もう1か月半以上が経つ。

 

もちろん、私が一人で家にいるのが寂しいなんて鼻クソみたいな話なので、それは全然良い。

今はとにかく彼はお母さんを大事にしてあげるのが当然と思うし、もし彼がモニーズィのようにそのまま地元に留まることを決めたとしても、私的には何も言うことは無い。

 

ただ、考えるにつれ、こんなコロナで大変な時期に、事故で弟さんが亡くなってしまった、というのがやるせない。

こじつけかとも思うが、このコロナの状況がなければ、弟さんもその日その時間にバイクで出かけず、事故に遭うこともなかったのに、と思うととても口惜しい。

直接のコロナ感染では無いにしろ、もし今コロナさえ無ければ弟さんの行動の範囲や出かける時間等のさまざまな運命の歯車が違っていた筈で、そう考えるとコロナが本当に憎くなる。

 

 

彼のことがとても好きだからこそ、彼に帰ってきて欲しい反面、彼が帰ってきたらどう接したら良いのかがわからなくて、正直、彼がすぐに帰って来ないことに少しほっとしている自分もいた。

 

私には直接は関係の無い話なのだが、誰もいなくなったこの家でいまだに家にこもりながら、

アリソンにもモニーズィにも、いったい私に何ができたのだろう、と、ひとりずっと考えている。