さて、バイーアの旅③、いよいよ涙の完結編である。
バイーア滞在の最後の夜にもバレー・フォルクローリコ・ダ・バイーアを鑑賞し、
このままホテルに帰るのももったいなく思い、感動の余韻に浸りながらペロリーニョ広場という超観光地の近くをホテホテと歩いた。
年末年始の数日はブラジルの有名アーティストが参加する無料の大々的なフェスが夜中まで繰り広げられていたのだが、ひとりだし、どうせ地獄のように混んでいて楽しむどころじゃないだろうと了解しつつ、一応その会場のほうへ向かってみる。
その会場へ行くための観光用にも有名なエレベーターには笑うくらいの長蛇の列ができており、会場を高いところから見渡せる場所に移動する。
すると想像した地獄をも軽く凌駕する混雑は舞台の近くにたどり着くまでに軽く3年くらい要しそうで目眩を覚えた。
米粒に描いた等身大の人物の顔くらいの頼りない小ささで人気ミュージシャンが歌っているのが辛くも確認できたが、もうすっかり私のやる気メーターはマイナスに振り切られていた。
隣で眺めている家族連れやカップルも会場まで行って見るのはあきらめモードである。
(翌日同じホテルに泊まっていたシンガポール人の女の子の話を聞くと、あまりもの人込みで皆殺伐としていて、荒ぶれた喧嘩なども頻繁でとっても危なくて怖かったと言っていたので、やはり私の判断は賢明であった。)
そこにひとりの物乞いの少年が現れた。この数日間で何度も見かけたこ汚くサイズの合っていない赤い大きなTシャツを着た裸足の12歳くらいの男の子だ。
ほうぼうでお金をせびり、思い通りにいかないと暴言を吐いていたのを見かけ警戒していたのだがその前日、私が広場の屋台でアカラジェ(バイーアの代表的な軽食。ドーナツのような揚げた生地に干しエビや玉ねぎやオクラや味のついたねちゃねちゃした何かが挟まっている。うまい。)を求めて並んでいるときにまんまと目をつけられ、避けることもままならず既にほんのりと絡まれていた。
ゲ、あいつまたいるよ。
憂鬱な気持ちになりその場を早く去ろうと思ったが、隣の家族に話しかけている彼を見ていたらなんだか悲しい気持ちになってしまった。
隣はいかにもお金持ちそうな身なりの良い子供連れの家族で、子供は彼よりも小さいがそんなに年の頃も変わらないだろう。
想像するしかないが彼がもしとっても素敵な家族に恵まれていたならば、裸足で毎晩こんなところで金をせびってはいまい。
よく見るとボサボサのアフロ頭の右側が何かの病気なのかがっつりとハゲている。
まだクリスマスの飾りつけもまばゆい、お祭り気分ではしゃぐ観光客や幸せそうな家族連れの中で、何日も同じ格好のままひもじく連日小銭を請わなければ生きられない生活でも、それがおまえの人生なのだから受け入れて品行方正にしていろ、と誰が言えるだろうか。
彼の肩をちょんちょんとつつき、少しだけお金を渡す。
彼はにっこりと笑ってオブリガード、と言って、手の中で渡したお札を何度も開いて嬉しそうに見つめた。
その時はじめてちゃんと顔を見て、意外にも整っていて美しい顔立ちをしていたことに気づく。
ショーを見るのはさっさと諦めてホテルに戻る道の途中、
「おね~さ~ん!ちょっと!ちょっと!日本人デスか?!」
と通りの反対から声が聞こえた。
ここに来てから観光客から教わったのだろう、カタコトの日本語で話しかけてくる輩は何人かいた。
どうせ挨拶程度の日本語しか知らないだろうし、それに、どうせ関わってもろくなことにならないだろうとガン無視してこれまではやり過ごしていた。
「ねえ、ねえ、ちょっと、聞こえてる?ムシしないで!ねえ、いいから、ちょっとこっちに来てよ!」
なんか今までの輩の日本語とは様子が違う。
なまりはあるもの、繰り出す日本語がナチュラルでやけに流暢だ。
思わず興味をそそられてしまい、道の反対側の路上で水を売っていたその日本語の発信源である小柄な黒人のおじさんの方にふらふらと近寄ってみる。
日本語を駆使しすごい勢いで話しかけて来て、それが本当にかなりうまい。
「おねえさん、日本はどこに住んでたの?…え?あ、大丈夫、日本の場所ボクわかるよ~…あ、そうそこ、赤羽の近くね。赤羽は京浜東北線と、、あと埼京線も通ってるね。」
詳しすぎる。
だいたい日本に来たことのあるブラジル人でも、知ってる都道府県は有名どころばかりで、東京、大阪とか、大概そんなもんだ。
彼は道行く人と忙しく挨拶を交わしながら、彼の名はペレといい、東京の王子に(だから近くの赤羽に詳しかったのだ)10年間住んでいてこの3月に帰ってきたこと、カポエラの師範であることなどと共に、日本の女の人は足が太いと言うと泣くね。こっちでは誉め言葉なのに。
などというわりかしどうでもいい情報をちょいちょいはさんでは喋りまくる。
日本語本当に上手だね、と褒めると、
「僕は毎晩日本語ひとりでしゃべって勉強していたよ。…、うん、誰も話せない時は寝る前にずっとひとりでしゃべって忘れないようにしたよ」
・・・! ひとりで!
ちょっと面白かったので、そのすぐそこの彼の知り合いの店でビールでも飲もうよという誘いに、どうせ暇だしせっかくの最後の夜だし、それに何か香ばしことが起こりそうだと悪い癖が発動してしまい、すでに酔っていて彼の目が血走っているのは気づかなかったことにしてついつい誘いに乗ってしまう。
店と言ってもビールとスナック菓子が売っているくらいの昔の町の角のたばこ屋を彷彿させる売店で、その隙間になんとか簡易椅子を二つ並べてもらいビールを買う。
彼はカッシャッサ(ブラジルの強いお酒)を割らずに生(き)のまま注文して一気に胃に流し込む。
私と話しながらその店の前を通る人に、日本ではこうだった、と無関係な話題をいきなり振って日本語を交えて片っ端から話しかけている。
しまいにはどんどんエスカレートした下ネタもえぐくなってきた。
友達だという店主に目配せして、ほんと、めんどくさいね、とポル語で言うと、
「そんなことないよ!君はめんどくさくないよ、大丈夫!!」とペレは元気に話に割り込んでくる。
おまえだ、お・ま・え。
だいたい話す内容はしょーもないのだが、たまに意表を突く日本観が彼の口から飛び出したりもして思わず吹き出してしまう。
そこそこイケメンの二人連れの通りすがりのお兄さんたちも、彼に招かれるままそこで一緒にビールを飲んで話に加わってきてまあまあ楽しくなってきたのだが、これから例のショーの会場にみんなで行こうと誘われたのには疲れてしまいそうなのでと断った。
ペレは、じゃあバイーアの夜景が一望できるとっておきの場所があるからそこを見せてあげる、と言ってきた。
もう帰ると言ったがクソしつこいし近くらしいので危険は無いと判断して彼についていく。
夜は更けてきたが、まだまだ人通りは途切れない。
ここだ、と立ち止まったビルの前で、門番に向かって知り合いがいるから入れろと半ば強引に中に入り、エレベータの一番上の階のボタンを押す。
着いた階にある扉をガンガンと叩き、案の定その最上階の管理人に、おまえは誰だ?と言われてモメている。
だが本当にそこの持ち主と知り合いであったらしくその名前を告げ、その人は今日出かけていると言われるもしつこく食い下がり、では景色を見るだけだったら、と、乱暴な交渉の末みごと潜入に成功した。
酔っぱらっているペレがまた管理人にしつこく話しかけ数分の間に同じ話を3回も繰り返したので非常にうざく早く帰りたくなったが、なるほどだだっ広いサロンのような部屋の壁の三面は展望台のようなガラス張りになっており、街が一望でき遠くに海が見える聞いていた通りの絶景であった。
いいかげんに帰ろうとビルの下に連れて行くと、ほぼ呂律の回らなくなった口で僕の家はここから遠くてもう帰れない、ホテルに、、、タクシー代が、、、などと言って私の腰に手を回してくる。
その手をはいはい、とバシバシ叩いて払い落としたら、
「ちょっと、なんでそんな冷たいの?なんでそんなに嫌うの?!」と言ってくるので、
「嫌いじゃないよ。でもべつに好きじゃないし。」と率直な感想を述べ、彼を残してさっさと自分のホテルの方へ歩き始める。
最後にお金が足りないから5レアル貸してくれというのでちょっとイラっとしたが、しょうがないのでお金を渡してまたすたすたと歩き始めた。
さすがにもう面倒くさい。
「ちょっと待ってよ!ねえ!…こっち戻って来て!……怒らないでよ!!………」
と背中越し途切れ途切れに聞こえてくるが、追いかけてくる気まではなさそうだ。
別にそんなに怒っていたわけじゃないがさすがにもう付き合っていられない。
やっぱりろくなことにならなかったな、とは思ったが、親切ではあり悪い奴ではなさそうだったし、今年の笑い収めの大爆笑を何度か私から掻っ攫っていたので、そのお返しと思えば5レアル(200円未満)くらいまあ安いものだ。
きっと彼は今日もサルバドールのあの場所に立って、日本人を見かけたらのべつまくなし話しかけていることだろう。
一度しか会っていないが、間違いなく奴はそういう男だ。
バイーア滞在でちょっと暇をしている日本人が彼に話しかけられたら、この“ペロリーニョのペレ”の話に付き合ってみるのも一興かもしれない。
めんどくさいことも間違いなく、お勧めはしないが。(※真下の写真は本人ではありまん)