“アントニオ猪木が日本でタバスコを広めた”
とても有名な話である。
タバスコの瓶を見るたびにいつもアントニオ猪木が初めて輸入したんだよなあ、と思い出す。
その話は私がブラジルに来てから初めて知った。
猪木氏が子供の頃ブラジルの移民であったことも。
なのでブラジルには猪木氏のご兄弟やご親戚がたくさんいるようだ。
例えば、私が初期にブラジルに来た時にとてもお世話になった『旅の指さし会話帳23 ブラジル』も、私は面識は無いのだが何人かの友人が直接知り合いであるこの本の著者の猪木亜弥子ファニー氏はアントニオ猪木氏の親類であるらしい。
絵も豊富ですごくわかりやすくまとめてあり、ポルトガル語初心者にはぜひお勧めしたい良本である。
ある日、私は当時ブラジルでのいきつけの歯医者さんへ行った。
歯医者というのは怖い嫌な記憶とセットになりあまり積極的に行きたいと思うところではないが、そこは腕が良く働き者で診療所の従業員たちの感じも良い、珍しく居心地の良い場所だった。
その歯医者さんは日本語も喋れたので、日々のことを何の気なく話すこともあった。
「僕の叔父が日本でちょっとした有名人なんだよ」
「政治家なんだけど、知ってるかな?」
恥ずかしながら日本の政治家なんてよっぽど有名じゃない限り知らないし、たぶんわからない。
ちょっと気まずい気持ちで答える。
「ごめんなさい、あんまり日本の政治家とか詳しくないからたぶんわからないと思います。。。」
「わからないですか、、、。アントニオ猪木っていうんだけど」
とさらっとおっしゃるのでとても驚いたことがあった。
そうか、政治家か、言われてみれば確かにそうだけど、ヒントがあまり良くなかったんじゃないか。
プロレスラー、さらに、ビンタ、燃える闘魂、なんて言ってくれればすぐに分かったのに。(※クイズじゃない)
「ししし知ってます!もちろんです!!!みんな知ってますよ!!えー!へー!はー!あー!!」
とひどく驚いたのを思い出す。
その時は既にアントニオ猪木氏がブラジル移民であったことを知っていたのだが、まさかこんな身近なところにご親戚がいるとは思ってもみなかった。
アントニオ猪木氏がブラジルに来る時には甥っ子である彼が空港へ迎えに行ったりしていたのだが、日本での猪木氏がどのような存在なのかまでは日本人のようにはわかっていなかったようで、空港でひとりの日本人の男性が気合を入れてくれと懇願してきてビンタをかます瞬間に立ち会ったことがあり、とてもびっくりした、と語ってくれた。
その話をはじめて聞いた帰りにこっそりその歯医者さんのアゴを確認したのだが(彼のお母さんが猪木氏のお姉さんなので血が繋がっている)歯医者さんなので当然常にマスクをしておりアゴは常にマスクの下にあるので、似ているかどうかを判別することはついにできなかった。
このように一方的な縁だが、幼少の頃から兄がプロレスオタクであったのもあり勝手に親しみを感じていた。
同世代の日本人なら皆ブラジル的な縁が無くとも兄がオタクでなくともとてもショックな出来事であっただろうと思う。
現にあまりしょっちゅうは連絡を取り合ってはいない日本の友人(女子)からもその訃報についての連絡があった。
ネット記事で闘病中というのを知り回復を願っていたのだが、とうとう還らぬ人となってしまった。
私が語るまでもなく彼の影響は計り知れないものである。
ボンバイエ、と心でとなえるだけで勇気が湧いてくる気がするのだ。
歳を重ねてくると好きな芸能人や有名人がどんどんご逝去される。悲しいことだ。
私などがここで言うのもおこがましいことだが、彼の功績を称え、感謝したい。そしてブラジルでの彼のご親族にお悔やみ申し上げるとともに今後のご発展をお祈りしたい。
合掌