カーニバルが終わり、サンパウロに戻って通常モードに慣れつつあったある日。
他の住人も出払っていて、私がちょうど家を出かけようとしていた時に、玄関のドアを誰ががノックしているのに気が付いた。
突然この家の大家のレオのお母さんとお姉さんという人たちが訪ねて来たのだ。
私たちの住んでいるこの家の本当の大家はお母さんらしい、と聞いてはいたので、今まで一度も会ったことも無い中でのいきなりの訪問に戸惑ったが、どうぞどうぞこんにちは~!とにこやかに家に招き入れた。
すると挨拶もそこそこに彼女らはこう言った。
「私たちがこの家に住むことになったから一か月以内にこの家から出て行って」
と。
出し抜けに、言ってる意味がわからず理由を聞くと、
「この不景気で姉も仕事を失くし私たちはとても貧乏でお金が必要なのだ、住む家が必要なのだ!ブラジルの法律では1か月前に住民に告げたら出て行く義務があるのだ!」
と止める間もなく話し続ける。
私は混乱し、
『ちょっと待ってくれ、私はあなたの息子のレオから部屋を借りてるのだし家賃もちゃんと払っている、とにかく彼との契約なのですぐには承諾することはできない』
と言うも、あちらは
「とにかく出て行け」
の一点張りで、私が何を言っても、
「これはブラジルの法律で決まっているのよ!!とにかくあなたは出て行くのよ!」
と口角泡を飛ばして食い気味に言われるばかり。
『私はブラジル人では無いし、あなたたちの言っていることを全部ちゃんと理解できないと思う、今いきなりそんなことを言われてとても混乱しているので、レオや第三者を交えて後日ちゃんと話したい』と言っても、
「あなたはポルトガル語上手よ!わかってるじゃない!何も他に話す必要なんてないわ!!」
と本格的に聞き耳を持ってもらえない。
だいたいのところはわかるが、細かいことまではわからないし、なにせいきなりのことにこちらも簡単にイエスとは言えない。
玄関から入ったすぐの場所で立ったまま延々と押し問答を繰り返すだけで話は平行線だし、話の合間にとにかく私は今でかけるところだから今日は本当に時間が無いのだ、と少なくとも4回~5回は、告げた。
それでもこちらの言うことは何も聞いてもらえず、私のつたないポル語に対し二人がかりであちらの言いたいことをまくしたててくるばかりだ。
自分の息子が部屋を貸していることはわかっていたと言うことなので、まずは息子と話して解決する類の話ではないだろうか。
そんなに突然に言われて1か月以内に部屋が見つかって引っ越せるかどうかもわからないし、とにかく混乱している、まずはレオと話して欲しい、
といくら言ってもレオとは一切連絡が取れないのだ、などと言われ、
だからあなたと直接話さなきゃいけないからここに来た、また一週間後に来るから、それまでに何とかしろ、あなたの電話番号をここに書け、
と迫られた。
ラチがあかないので私の連絡先を聞かれるまま教え、あなたの家なのだから訪ねてくることはしょうがないが、貴重品などもあるので私の部屋に勝手に入ることだけは辞めて欲しい、と約束を取り付けた。
内心レオめ、とレオを恨みながらも、いきなりこんなことになるのは絶対におかしいことなので、きっと何か誤解がある筈だと思い、後できちんと話せば解決するかもしれないとなんとか頑張って友好関係を築いて今日のところは穏便にお引き取り願おうと試みるのだが、ここで話は終わらずこちらが何を言っても勝手なことばかりを言い募ってくる。
二つ三つ例を挙げよう。
家に入ってまもなく私に退去宣告を突き付けられた私が茫然としているとレオのお母さんはイライラと家の中をうろつきまわり、
「まあ!なんてこと!!この私のカーペットを床上のこんなところに敷いているなんて!」
と叫んで、私が住み始めた時にはすでに床に敷いてあったダイニングのカーペットを引きずりひっぺっがし、長テーブルの上に叩きつける。みんながご飯を食べる場所テーブルの上へ。
そして、
「ちゃんと掃除もしていないんじゃないか、ほらここが散らかっている」
と、レオが帰ってきたときに散らかしまくり放置して行った、私たちが片づけをしきれなかったもの(それでもずいぶん片づけた後だった)を見つけては、
「私の家をこんなふうに雑に扱うなんて!人の家だと思って!!考えられないわ!」
と、キレられる。おまえの息子がさんざん散らかしくさってるというのに。
さらに、
「ここは私たちが住むことになったが、ここのすぐ近くに持っている小さなアパートを貸すことにしたからあなたたちはそこに住めばいい、そうよ、そうしなさい、それでいいわね!?」
と話を勝手に進めてくる。
『いや、そんな見てもいない場所に住むかどうかなんて今すぐに決められない』
と言っているのに、
「なんでだめなの?この近くだしとってもいい場所よ!そうよそうしたらあなたもすぐ出て行けるじゃない!月にいくら払えるの?あなたの職業は何?一体月にいくら稼いでいるのか答えなさい!」
と上から言ってくる。
なんで見ず知らずでこんな失礼な人たちに自分のプライベートなことを話す義務があるのか。
さすがにイラっとしてせめてもの応戦で、
『それに私はそんな小さいというアパートに住む気は無いし、だいたい私がどこに住むかはあなたたちに決められるようなことではなく、私が決めることだ』ときっぱりと言った。
「何を言っているの?あのアパートは小さくないわ!あなたには十分広いところよ!!」
30秒前に小さいアパートと言っていたくせに、その点をつつくと今度はおまえには十分広いと言ってくる。
はじめは何が何だかわからず動揺して下出からの防戦一本槍であったが、そのような彼女らの失礼極まりない態度にどんどん腹が立ってきた。
仮に、もしそのアパートが広くてどんなに素敵なアパートだとしても、あんたたちみたいなやつから家を借りるなんてまっぴらごめんだ。
失礼な態度と理不尽な言い草にうんざりしもう付き合いきれず、もう出かけなきゃいけないんで、と話を切り上げて出かけるため必要なものを自分の部屋に取りに行こうとした。
それでも部屋の前まで来てもしつこく延々と同じ自分の勝手な言い分を繰り返しながら追って付いてくるので、いい加減耐えられず、とにかく私は出かけなきゃいけないから、と言い捨てて自分の部屋に入りドアを閉めた。
するとすぐさま
バン!
と乱暴に部屋のドアを押し開けずかずかと押し入って来て、
「あんたはなんて教養のない人間なの!!まだ私が話してる途中じゃないの!!」
と怒鳴りつけられる。そして私の部屋を見回して、ベッドを指を差し、
「これは私のベッドよ!!なんで私のベッドをあなたが使ってるのよ!!!」
と喚き散らす。
そのベッドは私が見に来た時からレオに自由に使ってくれ、と言われていたものだ。
それなのに私に何か言う隙も与えぬまま彼女はもう止まらない。
「いい!あなたに常識ってものを教えてあげる!!ブラジルでは人に敬意を持って話を聞くものなのよ!席をはずす時はちょっとすみません、くらい言いなさいよ!あなたってなんて礼儀知らずな人間なの!!!」
温厚な農耕民族である私だってここまで言われてさすがにブチ切れた。
『もう出かけなきゃいけない時間だ、って初めから何度も言ってるでしょ!なのに私の話をあなたは全然聞こうともしない!だいたいね、このベッドは硬すぎて身体が痛くなるから私は全然使ってないから!ほら、こっちに布団を敷いてあるの見えるでしょ?!こんなベッド邪魔なだけだからどうぞ持って行って!そもそも、いくら自分の家だっていったって、私が何を言っても全く聞かないで自分の都合だけ叫び続けた挙句、ちゃんとお金払って部屋を借りてる人のプライベートな部屋にいきなり入ってきて私のベッドを使うな、なんて怒鳴りつけるなんて、一体どっちが礼儀の無い人間なの?とにかく叫ばないでもらえます?それに、私は本当にもう出かけなきゃいけないから!!』
でっかくて黄色くて訛りのある生意気な生き物に言い返されたのが悔しくてならなかったようで、母のほうははまだ興奮して、この無教養の日本人が!などとぎゃあぎゃあ喚いていたが、娘(レオの姉)の方はさすがに母が言ってるいちゃもんに分が悪いと察したようで、母さん、もう行こう、と腕を引っ張って取りなした。
今思い出しても胸糞が悪い。
家をやっと出ていってくれたのは、出かけようとした時間から1時間近く経っていたと思う。
こうして私はあと1か月で宿無しになるかもしれないことになった。