カーニバルでは、ブラジルでは、所属を示すところの文字などが入ったお揃いのTシャツをユニホーム代わりに着る機会が多い。
そこのメンバーですよー、ということが一目瞭然なので非常にわかりやすい。
カーニバルが終わって2か月が経ったが、今回は今年もらった私物のTシャツに個人的な解説を交えながら個人的な思い出を振り返ってみようじゃないかという新企画(そして多分一回だけ)である。
1.自分のチームから配布されたTシャツ
練習時や軽いイベントの時に着られるようにチームから配布されるTシャツ。
オシャレさんたちは自分の好みの形に切ったりキラキラを付けて装飾をすることが多い。後ろに自分の所属する部署が書いてあることも多い。書いてないことも多い。最近は会場でのリハーサルの時は簡易衣装を着けたりもするので、そもそも踊り子には配られないことも多い。ま、その年やチームにもよることが多い。
結局もらったはいいが一度も着る機会がないまま今に至る。
2.今所属しているチームが母体である、私が去年から関わっている未来の踊り手養成プロジェクトのTシャツ
メストレ・サラとポルタ・バンデイラとパシスタ部門があり、第一部では子供たちにカポエラを教えたりもする。私はパシスタを目指す子供(大人もいる)のインストラクターとしてストレッチを教えたり、メインのサンバの先生の補助をしたりしている。何の音沙汰も無しで先生が来なかったりすることもあるので、急遽、先生をやらされる時もある。ポルトガル語が咄嗟に出てこず子供たちに笑われ、助けてもらいながら冷や汗をかきつつ、何とかやる。そんな時に着用しているTシャツ。
今は亡きマリアエレーナ(近所に住んでいた仲良しのおばあさん)に加工してもらったやつだ。
3.子供のカーニバルのスタッフのTシャツ
ファベイラに住む子供達にサンバ(踊り)を教えるプロジェクトを友達がやっているので、そこにたまに顔を出している、今年はそこの子供たちのカーニバルの手伝いを申し出た。
前からやりたいと思っていたので夢が叶ってとても嬉しい。この話は長くなりそうなので、次回そのもようを書きます。
日頃から愛に飢えているので、2.のインストラクターをやっているところの子供たちもそうだが、私を認識した瞬間に破顔一笑、駆け寄って抱きついて来てくれたりするのが本当に震えるほど嬉しい。たまに他の子供たち同士で遊んでいて構ってくれないとチェッ、と、しょんぼりしてしまう。どっちが子供か。
4.超VIP席カーニバル観覧用Tシャツ
いくつかのカーニバル観覧特別席では、食事や飲み物やお揃いのTシャツまでもが料金に含まれており、皆それを身に着けて観覧することになっている。今年はその中でもべらぼうに良いスペースで観覧することになった。
こんなにゆったりと1階でも2階からも観覧ができるなんて20回以上の観覧の中で初めてだ。こんなの初めて♡。この世の極楽とはこのことか、と酔いしれたのはシャンパンを飲み過ぎたせいだけではない。
このブラジルの不景気で企業などになかなか売れないということで、外国人向けにも力を入れているので、日本人でこの席で観たいと言う人を紹介して欲しいと本格的に頼まれる。ぶっちゃけお値段はかなり高額だが、ぜひ一生に一度はここで観てみることをお勧めしたい。
興味のある方はご一報ください。値段交渉してみまっせ。
5.サンパウロのカーニバル・アルモニアシャツ
サンパウロのカーニバルに参加したいという方を集めて出場しましょうというツアー企画に関わり、当日は皆さんのケアをとチームスタッフとして列の調整役などをしていた(基本子供のスタッフの時と同じような立ち位置)。
普通のTシャツじゃなくて生地がシャツっぽいところがいかにもオフィシャルって感じでカッコイイぜ、と自分的には思っている。
その後他の洗濯物と一緒に洗ったら白いTシャツ等にまだらにオレンジ色がついてしまって落ちない。くそう。皆さんもブラジル製には要注意だ。
6.おまけ 衣装の下の全身タイツ
今年は自分の本番当日に衣装の一部として黒の全身タイツを着用した。
全身タイツ、略して、全タイー。
あれ?サンバの踊り手って、みんなビキニみたいな衣装を着るもんじゃないの?などと思ったあなたはすっとこどっこいの素人だ。
一番にはテーマを表現することが大事なので、こういう時もある。
だが、衣装が配られた瞬間は、そこそこ玄人であるはずの私でも目を疑った。露出ゼロなのはいいとしてこれでは絶対暑くて大変そうだ。衣装もずっしりと重くその上アフロの馬鹿でかいズラがコーンヘッドのように頭4個分くらいのボリュームでそそり立っている。
踊る人の都合を全く考えていない、暑くて重くて安定しない衣装だが、それも長いサンバ人生では、まあ、あることだ。
諦念とともにこの全身タイツを眺めていると、ふと、遠く甘酸っぱい記憶が呼び戻された。
そう、あれは、、、私がサンバを始めたばかりの頃のことーーーーーーー。
日本のあるサンバチームに所属をしたばかりの、サンバを始めてまだ1年目の夏だったと思う。
TVの仕事にルーキーながら呼んでもらえて、初めてのTV、初めてのサンバの仕事!と多少興奮しながら衣装を準備してTV局へ向かった。
入館するとちょっとしたソファのあるスペースに京本政樹がおり談笑していて、おお、さっそくTV局って感じだぜ、必殺シリーズ良かったョ!などと心の中でつぶやいたりしていたのを覚えている。
楽屋に入り、そこのスタッフさんから、衣装の下にこれを着けてくださいと言われた時に私の体を貫いた衝撃を今も忘れない。
手渡されたのは、
蛍光ピンクの全身タイツ
であった。
TV出演に抜擢されたと思って会社を早引けして行ったのにこの仕打ち。
当時の彼氏や友人達にも、「ちょっと、、、その日はTVの仕事がね、、、フフ、、」
などと嘯いてきたというのに、ヌーブラ・ヤッホー♪と飛び出してしまいそうなピタピタで頭まで覆うタイプのまごうことなき全身タイツ✖目の覚めるような蛍光ピンクの夢のコラボによる思いがけない攻撃に、よろめいてがくりと膝をつくことになった。
私の焦がれたサンバというのは、もっとカッコよくてセクシーなものでは無かったか?
その番組は当時、爆笑問題が司会をしていた健康バラエティーで、脳内部位や物質を擬人化して、その中にお茶の間にわかりやすく脳の働きを寸劇で説明するというコーナーがあった。大抵はその部位ごとに色違いの全身タイツをそれぞれつけ、額に張り付けたカマボコ板ほどのプレートに「海馬」「前頭葉」などと各々の名前が書いてある。
私の役はまさかの
ドーパミン
であると云う。
全身タイツの上にサンバの衣装を着て、脳から指令を受けたドーパミンの躍動感をサンバを踊って表現する、という難しい役どころだ。鬼才ディレクターのイカれた演出に、こいつはバカなのだろかと唖然としたが、自分が演じるのでさえなかったら割と嫌いではないオルタナティブ・パフォーマンスであった。
その日は私の他に同じサンバチームから6~7名の先輩たちも一緒で、彼女たちがそれをむしろオイシイと面白がって盛り上げてくれたので私のショックも和らいだ。しまいにはドーパミン先輩たちにつられ私も楽しくなってきてしまい、いかにらしく写真を撮るか、ということに苦心し、張り切って両手を上げたポーズをとり満面の笑みで写ったドーパミン・ショットは今も日本の実家の引き出しに、若き日のスゥイート・メモリーとしてそっと残してある。
あれから何年経ったのだろうーーーーーーーー。
私がまだ、駆け出しのドーパミンだった頃の話だ。
懐かしく、胸が少し痛むような甘美な全身タイツの思い出。
ーーー今の私は、あの頃よりも少しは上手に跳べているだろうか?
そして次もまた、違う全身タイツを着た時に、今年のカーニバルのことを懐かしく思い出す、そんな日が、来るのだろうかーーーーーーーーーーーー。
《完》