カーニバルが終わって一週間が過ぎた。
灰色の水曜日、と呼ばれている先週の水曜から一般的には仕事が始まったので、カーニバルがいつまでかといえば通常火曜日までなのだが、その土曜にはスペシャルグループのチャンピオンパレードが行われる。
リオは上位の6チームがチャンピオンパレードに出場するシステムで、私のチームもその中に入ったのでこの土曜日までが私にとってサンバカーニバル・延長戦、だったのであった。
去年私が出させてもらったチームが優勝した。
老舗の人気チームだが、優勝は三十数年ぶりとのことで、めでたい話だ。
私はサンパウロのカーニバルに出ていたときから数えて12年くらいブラジルのカーニバルに参加していて、年によっては大小いくつかのチームで掛け持ちして出ていたにも関わらず、私の参加したチームは一度も優勝したことがない。
私がそんなアンラッキーガールである事がばれて今のチームに追い出されたら嫌なのでこの件については黙っているつもりだ。
一介の踊り子がどんなに頑張ったところで優勝を左右できるほどの力は無いのが現実で、テーマ選出から何千人も関わっているその大きな流れがすべてピタリとはまりトラブルも無くうまくいった年に優勝が訪れたりするのだが、それにしてもちょっと残念である。
一度思い切りチームのみんなと一緒に喜びの涙を流してみたい。
とは言え、自分の出たチームが優勝すればそりゃみんな嬉しいが、サンバというものはそんな底の浅いものではない。
どのチームも素晴らしいし、みんなそれぞれが自分のチームを愛して頑張っているからこそ、そこに感動があるのだ。
点数発表の際に、審査員の高得点が発表されたのを聞いてオイオイ泣いているいい年のおじさんなんか見てると他のチームであっても、よかったね、よかったね、とついもらい泣きしてしまう。
カーニバル自体やその採点にはいつもTV局の都合やマフィアの圧力やチームの不正など欲やお金絡みの汚い噂が必ずついて回る。
憤懣やるかたない気持ちになることも多々あるがそういう部分だけではない筈で、誇りを持ってコツコツとやってきた人たちひとりひとりを労い優勝したチームを称えたい。
サンバの持っている強さや美しさを信じたい、と思う。
こんなことを思うとき私は、
“Não deixe o samba morrer” サンバを死なせないで
という気分になる。
私のようなペーペーがこのような事を思うのは百億万光年早いが、最近この曲を聴くといつも泣けてきてしまう。
“私がサンバ会場にこれ以上立てなくなった時
私の脚が持ちこたえられなくなった時
私の体を連れて行って欲しい 私のサンバと一緒に
私のサンバへの情熱に震える指輪を 使う価値のある人に託すから” (少し意訳)
渋い。
膝が痛む。