膝が痛い。
でも触れたように、去年の5月くらいから膝に異常を感じていた。
ずぼらで病院嫌いの私は、しばらく放っていれば治るだろうと様子を見ていた。
以前も何度か膝や股関節などに痛みを感じたことはありいろいろ治療をしてみたが治らなかったのが、時が経つにつれ良くなったことがあるからだ。
7月終わりから1か月ほどの休みを取る予定だったので、その間になるべく安静にしていればまた元に戻るのはずさと静観していたのだった。
だが休みを取り、安静という名目の元にはりきってごろごろと怠惰な暮らしをていたにもかかわらず、一向に回復の兆しが見られない。
とうとう膝を曲げることができずあぐらすらかけなくなり、それどころか寝そべっていてもズキズキと膝に痛みを感じ出し、足を軽く引きずらないと歩けない日さえあるようになってしまっていた。
さらに、オリンピックの閉会式を終えて久々にサンパウロの友人たちに誘われて行ったカラオケハウスで酔っぱらって調子に乗り、体が柔らかくないとできないご自慢のエアー足ギター(special ver.)を披露したところ、もともと膝が悪いゆえバランスを保てずもんどりうって痛いほうの膝をしたたか強打してしまうという、全然誰にも同情してもらえない理由によりさらに加速して悪化してしまった。
この人は座っているが、立った状態で、さらに足をもっと高く、12時10分くらいの角度で。http://itizusugita.jugem.jp/?eid=425
聞いてはいたが、今まで理解できなかった“膝がぐちゃぐちゃになる”というのはこういうことか!と負傷中の膝を思わず打ってしまう。痛。
しゃがむことができず、痛くて左足を軸にして立ち上がることもままならない。歩いたり踊ったりすると膝が抜けるような感覚とともに痛みがあり、こりゃ本気でやばいな、と、思いつつ体が資本である仕事をしているためだましだまし日々を送っていた。
そんなある日、私が通っている腕の良いマッサージ師さんに相談したところ、今すぐ病院に連れて行ってあげるから用意をしなさいと言ってくれた。
そこで私ははっと我に返り、何か月もうじうじと悩んでいるよりも、原因をはっきりさせて治療を受けたほうがそりゃいいよな、と思い、お言葉に甘えて言われるがままタクシーを呼び付き添っていただいた。
とりあえず無料でやっているSUSという公共の病院に行こうということになり、だがそこでは無理をして平気なふりをしたりすると、下手すると何日も待たなければならなくなるので今こそその痛みを余すことなくアピールするのだ!と言い含められ、
もっと私の肩につかまって体重をかけていいから!ほら、もっと足を引きずって!!
と、ちょっと大袈裟だろうと思うようなありさまで病院を訪ねることになった。
いかにもブラジル的な手段にやや抵抗はあったが、我慢も限界に来ていたので彼女の指示に素直に従った。実際に痛くて不安だったので、彼女のサポートがとても有難かった。
こちらの公共の病院では基本急患以外は後回しにされ、重患者であっても何日も予約が取れずに悪化してしまったり、待っているうちに死に至ることもままある。
膝が痛いくらいで死に至ることはないと思われるが、その日は他に重症な患者もおらず、それでも2時間以上待ってやっと診療にありつくことができた。
レントゲンを撮り触診をしていくつかの質問をされる。
もう数か月痛みがあり、さらにその後に転んで膝を打ったことは言いにくかったので、酔っぱらって調子に乗ってしまったくだりはカットしてそのことを話した。
膝がカクンと抜けるよな感じがするか?と聞かれ、
そうそう!それそれ!!まさにそういう感じがするんです!!とまた自分で膝を打つ。痛。
僕は膝の専門家では無いからはっきりしたことは言えないが膝の前十字が損傷して腫れているので、まず痛み止めと腫れ止めの薬を出すからそれを飲んで足を高いところに吊って2か月は安静にしていなさい、と太ももから足首までの広範囲に渡って包帯でぐるぐる巻きに固定されてしまった。
まじか。
経済的にも、私を待っていてくれているはずのサンバ教室などの生徒さんたちにも、
いや~ん、じゃー、2か月ほど休むんでシクヨロ~♡
と簡単には言えない。
生徒さんたちは良い方ばかりなので、きっと無理しないで休んでくださいね、と言ってくれるだろう。
でも、それは嫌だ。困る。
大丈夫、なんとかなる。
そう信じてまた日々を過ごした。
同じく左膝を痛めて調子の出ないフィギアの真央ちゃんの頑張っている記事だけが心の支えだ。
国民のアイドルである一流スポーツ選手と厚かましく自分を対等な位置で重ね合わせながら、無理無理やっていたバレエのレッスンはひとまず辞め、リオの練習も休んでしばらく悶々としていた。
以前このブログにも登場した貴婦人に話をすると、
ご自分や柔道をやっていた旦那様が通っていたすこぶる優秀な膝の専門家の先生を知っていると言う。
保険が無いとすごく高くなってはしまうのだが、行ってみる価値はあると勧めてくれた。
渡りに船と、またもや忙しいところ貴婦人の予定を変更していただいてまで、その病院に連れて行っていただいた。
本当に周りに支えていただいていてこそのブラジル生活である。
膝の不調のせいで変に考え込んでしまい身も心も憔悴しており、もう踊れなくなってしまうのではないか?もう潮時なのでないか?もうそもそも日本に帰ったほうが良いのではないのか?
と、『プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男達』を観ては涙を流し、日々インターネットで、膝 痛い 前十字、などというワードで情報を集めていたところだった。
そこには私に似た症状の人たちをたくさん見つけられ、日常生活にはそんなに支障は無くても、一度損傷してしまった膝は自然にもとに戻ることはほとんどないので、激しいスポーツなどをしっかり続けたいという人に対しては手術することが勧められていた。
手術してもその後半年から1年リハビリを続けなければ復帰は難しいとの情報を得て、ひたすら絶望的な気持ちになっていた。
だがいざ診察を受けると、その海外の学会で最新の技術を学んだりもしているスペシャリスト医師は触診だけにもかかわらず、悲壮感を漂わせ、で、手術はいつだ?と詰め寄る私に、手術などしないで大丈夫だ、と太鼓判を押す。
何度も必死でしつこいほど自分の症状をアピールするのだが、しまいには失礼なことになんなら半笑いだ。
重症でなさそうなことに安堵しながらも、なんだか私の膝が恥ずしめを受けたような複雑な気持ち。
違うんだ、私は詐病で大袈裟に騒ぎ立てる構ってちゃんのパラノイアなんかじゃない。
本当に痛いし思うように動かせないのだ。信じて欲しい。
それに、このお医者さんにもここで一言ちょっともの申したい。
アホか、と。
あなたはその職業にして今まで一度も膝の気持ちを想像したことはないのか、と。
だいたい、本当に素晴らしい腕の専門医だというのなら、私や私の膝の立場というものにもうちょっと配慮してくれたっていいのじゃないか。
せめて、本当に手術が必要なほどの重症であった痕跡はあるが驚異の治癒力で奇跡的に治りつつある、だとかうまいことを言って膝と私を心ごと癒してこその膝師・スペシャリストなのではないのか、と。
実際にそう告げたら、初心を忘れていた自分を激しく悔いて、感謝の涙を流してすぐに改心するに決まっている。
ええ。
半ば言いがかりであることは自分でも気づいている。
だが、痛みがあることはわかるがその痛みさえ除去できればオールオッケーという診断で、こちらとしては薬も強めでガツンと効きそうなものをご所望なのに他の薬は必要無いと言って処方されたのは、“軟骨を作る成分の入っている薬”という生ぬるい感じのものであってひどく納得がいかない。
帰りの車の中で、彼の腕に絶大な信用を寄せる親切な貴婦人に、手術をしないですむ程度だとわかってよかったわね、と声をかけられた。
これからも家に帰って急な仕事を片づけなければならない貴重な時間を割いてまで付き合ってくれた貴婦人に、そんなにたいしたことはないという診断の上、送り迎えまでさせてしまうことに恐縮しつつ、でも本当に痛いんだけどなあ、、、とぼやいてみた。
「そんなの使い過ぎよ。みんな年を取ってくると何もなくてもどっか痛くなったりしてくるのよ」
と、さすがの貴婦人、年の功。言葉に重みがあった。
そっかあ。
今度は膝こそ打たなかったが、しみじみと納得してしまった。
なんだか気が抜けて、安心したせいか心なし膝の痛みが和らいできた気がする。
実際その後の経過は、まだ痛みはあるもののピークの時よりだいぶ楽になってはきていた。
誰もがいつまでも若いままではいられない。
これからもこういうことがたくさん起こり、多くはそれと共存してうまく付き合っていくという方法で生き延びるしかなくなってくるのだろう。
帰り道の、夕暮れに差し掛かった空を見上げしばし見詰めた。
そう、つまりこれが、ブラジル・日本人サンバダンサーの加齢な日常、というわけだ。