ブラジル・日本人サンバダンサーの華麗な日常

ブラジルに住む日本人サンバダンサーの全く華麗ではない日々

スウェーリョが消えた日

ちょっと前の話になるが、スウェーリョがアパートから姿を消した。

 

スウェーリョとは、このブログを隅から隅まで読んでいる奇特な方でも思い出すのが難しいと思われるので解説すると、私の借りているリオの、超高級セレブマンション、とはほぼ対極に位置づけされる4畳半・流し台トイレシャワー付きの貧乏賃貸長屋の隣の隣の部屋に住んでいた推定年齢90歳の老人のことである。

 

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私は子供の頃に母方の祖母と同居しており、学校から帰り居間にいる祖母がTVをつけたまま目をつぶっているのを見るととたんに不安になり、

おばあちゃん!?...おばあちゃん!??

と、その首がグラグラするほど体を揺すって無理やり起こし、ただ居眠りをしていただけの老人を無駄に驚かせてしまうことがたびたびあった。

今でも野良犬が道路に寝そべっていると、まさか死んでるんじゃ、、、?と心配になり、お腹が呼吸によって上下しているかどうかをしばし立ち止まり念入りに確かめてしまう。

 

そんな、死に対してセンシティブなところを持つ私である。

リオの家をひさびさに訪れる時は不謹慎だが今日こそもういないんじゃないかとスウェーリョの部屋の前で全身で気配を窺い、えもいえぬ緊張感を走らせながら通り過ぎるのが恒例となっていた。

 

その彼がいなくなった。

 

スエーリョは私が部屋を借り始めた7年ほど前にはもう既にこのアパートに住んでいた。

彼はかつて妻もおり子供などもいたようなのだが家族誰も訪ねてくることは無く、役所の保健課の人や赤の他人と思われる人の好さそうな痩せた中年男性がよく世話を焼きに来ていたのみであった。

私が住み始めた頃はよく彼が近所のパン屋やバーなどにひとりで行ったり、ゆっくりした歩みでそこらを散歩をするのを見かけたりもしていた。

そしてそのパン屋で買ったと思われる戦利品の安いパンや見たことのないメーカーのジュースを何故だか私に与えにたびたび訪れるのであった。

年金暮らしの決して裕福と言えない老人から貢がれるパンの味はいろんな意味でしょっぱすぎるので困惑して何度も断ったのだが、それは数回続いた。

老人は朝が早いと言うが、夜中までの練習の後で明け方眠りについたところ朝早くから扉の前で名前を呼ばれ特に欲してもいないパンを渡されるために安眠を妨害されるのも正直しんどかった。

さらに私の住むアパートはどこぞの子豚の三兄弟が建てたのかな?と思うくらい雑に造られており、オオカミのひと吹きで飛ばされるほどではないにしても、レンガを積んでコンクリートを塗りたくった、以上!!、という感のシンプル・イズ・ワーストなもので、灼熱の太陽が照り付ける真夏にはコンクリートが熱を吸って夜になっても摂氏40℃を軽く保つ脅威の保温性特化型アパートなのだ。

もちろんクーラーなども無く、アンペアの関係で勝手に取り付けることもできないので、自分の皮膚さえむしり取りたくなるほどの暑さの中とてもまともに衣服などまとっていられない。

なので家にいる時はトップに短パン、下手すると水着などの極力少ない布をまとったのみで就寝することもある。

私のアパートの部屋の入口のドアは上下にガラス窓がはめ込まれそれが開けられるようになっているので、風を少しでも通すために暑い日はその窓を全開にし目隠しにカーテンをそっと被せるのが私の真夏の夜のカリオカ・ナイトスタイルなのだ。

私の部屋は幸い一番奥の突き当りの部屋ということもあり、わざわざ前まで来て覗かれない限りそのしどけない寝姿を隣人たちに見られることもないのでそのように生活していた。

もっと言うと朝起きると三角ビキニがずれてうっかり乳が出てたりすることも起こりうるので、爆睡しているところに目隠しのカーテンを外からずらされて中を覗かれたりするのは想定外であり、また、あまり気持ちの良いものではなかった。

 

だが、いくら食うか食われるかのサバイバルな暮らしをある程度は覚悟して暮らしている私であっても、身寄りの無い孤独な老人が親切でやってくれていることに対し、持ってきたパンをその口にぐりぐりと押し込んで

おとといきやがれこのクソエロジジイ!

などと、追い払うことはもちろんできない。

実際そこまではしないにしても正直どうしたものか弱ってしまい、困ったときの大家サンドラさん、ということで、いつものごとく彼女に相談してみることにした。

 

彼女からはおなじみのマシンガントークで、

スゥエーリョはまったくボケておらずかなり計算高いこと、いつもあわよくば近くにいる人に自分の世話を焼かせようとすること、いつも女性と隙あらば懇ろになろうとするから気を許してはいけないということを告げられた。

サンドラさんにもそういうことを果敢に試み何度も怒られそして何度もあえなく失敗していたようだ。

80過ぎの枯れて見える老人がそんなに肉食男子であるということに衝撃を受けるとともに半信半疑ではあったが、ブラジル男子は年は取っても私の想像以上に性的にアグレッシブであるということを他の人から聞いたりしたこともあったので、心を鬼にしてそれからはなるべく毅然と接することにした。

ここに来て彼が誰かに危害を加えることは無かったが、彼は若いころずっと犯罪を繰り返し何度も監獄を出たり入ったり、やりたい放題に生きていたため家族にも嫌われて天涯孤独でここにたどり着いたということだった。

暑い日はブラジル人男性は上半身裸でぶらぶらしている人が多いのだが、彼も例外ではなく、また、素人が気まぐれで入れたようなジャンクなタトゥーが背中いっぱいに入っているのを早い段階で確認していた。

こっちはタトゥーを入れている人は普通なのでそういうものだとスルーしていたのだが、それにしても落書きみたいな統制のとれていないタトゥーだな、とは思ってはいた。

たまたま私の家を訪れたブラジル人の友人がそれを見てちょっと驚いたように、あれは監獄にいる人がその中でお互いに入れるタイプのタトゥーだよ、と後でこっそり耳打ちしてきたこともあったので、なるほど、サンドラさんの言っていたことは本当なんだなと実感した次第であった。

 

彼は一日のほとんど部屋におり、古い洋楽や懐メロを大音響でかけて過ごしていた。下手をすると早朝から毎日結構な時間までエンドレスでかかっていることもあった。

彼の部屋の入り口の窓もいつも開けっ放しであったので隣の隣の部屋とはいえ、本当にうるさくてたまらない。

選曲のセンス自体はなかなか悪くないのだが、それが何日も続く上まだ寝足りないときはとても閉口した。でも彼の唯一の楽しみであろうと思うと文句もあまり言えずにいたのだった。

 

そんなこんなの7年の間にいろんな隣人たちが入れ替わり時が経つにつれ、スウェーリョは少しずつ衰えていった。

特にこの1~2年は一人で階段を下りて自由に外に出かけることもできなくなってきて、ずっと部屋で横になっているか、やぶれて穴の開いたシャツにお尻の始まりが見えるほどずり下がった腰パン状態の短パン姿で共同の物干し場から外を見ていることが多くなっていた。

トイレコントロールができなくなったにもかかわらず彼はおしめを断固拒否したので、いつも開けっ放しにしている彼の部屋からは常に昔の公衆便所のような悪臭が漂い、彼の部屋の前を通る時は息を止めないと通れない上、彼の歩いた後の廊下には尿漏れのシミが点々とついていることも一度や二度ではなかった。

隣の住人であるハム子(仮名)が昼食を作って面倒を見ていた時期があり、盗み癖のひどいハム子でもいいところがあるなあとホロリとしたこともあったのだが、何のことは無い、お金をもらい仕事として世話をする契約をしていたようであった。

まあそれにしてもなかなかできることじゃないよな、やっぱハム子偉いな、と感心していたのだが、サンドラさんからちょいちょい家に入っては彼のお金をちょろまかしていたようだという話を聞いてやっぱりハム子はハム子だと、ちょっと感心してしまった感情の分のカロリーを返して欲しくなったりもしていた。

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だがそれなりに世話をされて味をしめたスウェーリョのハム子依存が酷くなって、一日に何度もハム子の名前を叫んで呼ぶようになったので、周りも辟易し、そして誰よりハム子が一番辟易したのだろう、働きに出るという名目でスウェーリョの世話を早々と降りてしまった。

いくらお金をもらっている(さらにちょろまかしている)と言っても少額であることは間違いないと予想され、大した用事もなく四六時中呼びつけられるのはハム子で無くてもたまったものではないだろう。

ハム子がいない日に私も呼びつけられ、常備薬が切れてしまったので今すぐ買ってきてくれと頼まれ、私も病中であったのに40度を超えるくそ暑い真昼間に薬局を3軒も回り一時間以上かけて探し回らねばならなかったことがあった。

サンドラさんにそれを話すと彼はいつもそういった断りにくいことを他人に要求するが、薬はいつも世話をする人が定期的に届けているので切れているということは無く、人の気を引きたいときにはそうやって嘘をついて人を動かしてカタルシスを得るのが彼のやり方であり、以前もそういう時すかさず薬を隠していそうなところを探すとザラザラと無かったはずの薬が出てきたことがあったので真に受けてはダメだ、という話を後で聞いて、私の敬老精神もぽっきり折れそうになった。

 

そしてそんなある日、久しぶりにリオに来てみると彼の部屋はもぬけの殻となっていた。

換気のためかドアごと開け放たれた室内は丸見えでベッドなども無くなっており、ほんのちょっとの彼の所持していた家具と彼の昔の写真の張ってある木の板が廊下に積み上げられているばかりだった。

 

ああ、そうか、ついに、、、。

 

高齢であったためいつかはと予想はしていたが、がらんとした彼の部屋を見ているとなんとも言えないようなさみしいような気持になった。

ちゃんとゆっくり話したことも無く、心を通わせたわけでもない。

もし時が戻っても彼の望むように親切にすることは私はしないだろう。

泣けるほど悲しいという感情も湧いてこなかったが、ずっといたひとがいなくなるということにショックを受けた。

残された写真たちを勝手に眺めると、古い写真独特の雰囲気のあるそれらはアート作品のように恰好よくて、若いころの彼やその仲間がオシャレをして楽しそうにしてた。

少し感傷的になった私に時代や人間の生を一瞬で凝縮して見せてくれるような良い写真たちだった。

 

 

翌日サンドラさんに会い、スウェーリョ、いなくなっちゃったんだね、と住人を失った彼の部屋の前で話をした。

 

最期はいろいろ大変だったりしたのかな?と細かい事情を聞けずにいると、

 

ほんと、やっと施設に空きが出てよかったわ~!それにしてもこの部屋の臭い事!・・・しばらくは換気しないとダメね~!

と鼻をつまみながら清々しく言い募ってくる。

 

あれ?

 

なんか私が思っていた展開と違う。

 

一瞬話についていけずにそのまま聞いたところによると、

 

彼は全然ピンピンしており、以前から申請してあった市営の老人施設に空きが出たので移り住んだだけという話であった。

 

彼よりは若い介護士さんたちに寄ってたかって世話を焼いてもらえるということで嬉々として去っていったとのことだった。

 

拍子抜けした。

同時に安堵した。

彼が変わらず元気でちゃっかりしているようで安心した。

 

 

この話には後日談があり、残った荷物を届けがてらそんなに気も進まないまま、だがそれなりに人情派であるサンドラさんが様子を見に行くと、

サンドラさんが愛を持って迎えに来てくれたと勘違いした彼がうきうきと荷物をまとめていて、さあ、じゃあ帰ろうか、と手を引っ張られたそうだ。

 

大好きな(自分より)若い女の人がみんなでちやほやと世話をしてくれるはずだったのに、いざ移り住んでみると無論ちやほやしてもらえるわけでもなく、自分と同じような老人がいるばかりで、嫌いな風呂に毎日無理やり入らされたりと思ったよりも自由の効かない環境に早くも不満が爆発しているらしい。

 

他人であり、充分に義務を果たしているサンドラさんが彼の意向を突っぱねて帰ってきたことも当然であると思う。

 

可哀想とは思うし、自分もいずれは、と思うところはある。

だがこればかりは誰もどうしようもできないことだ、というのが、自分が年老いた先をまだリアルに考えられない私が感じることで、それ以上のことは今はよく考えることができないでいる。

 

 とにかく彼には図々しく、これからも長生きして欲しいものである。