マリアレーナとは、私のリオの家の近所に住むおばさんの名前で、彼女とはお互いの家の近くのサンバチームで知り合い、近所で服のお直しのお店をやっていたこともあって、超ド級に不器用な私は衣装のワンピースや普段着の丈詰めのお直しなどがあるたびに足繁く彼女の店に通っていた。
彼女はバイアーナ(カーニバルでも重要な採点対象のひとつである、主に高齢の女性で編成されたバイーア地方独特の長いボリュームのあるスカートを着けて参加するグループ)の一員として毎週チームの練習に来ており、会うといつも、娘よ~!と笑顔で抱きしめてくれ、練習後は危ないから一緒に帰ろう、などと得体のしれない日本人である私のことも気にかけて特別によくしてくれた人だ。
練習の帰りや近所で顔を合わせるとたびたび招かれてビールをごちそうになったりもした。
彼女はその地元チームを軸に可能な限り大小いろんなチームでカーニバルに参加していて、家が近いこともありその練習や本番ともに私をいつも誘ってくれていたので、私は何度も一緒に練習に行ったり同じチームでカーニバルに参加をしていた。
今日久々に服のお直しを頼みに彼女の店に行くと、シャッターが閉まっている。
お昼時だったので、ごはんを食べに家に帰っているのかな?と思い、並びにある共通の知り合いのおばさんのやっている小さなバール(ビールや飲み物、軽食を出す庶民的なお店)で、「マリアレーナの店閉まってるね?」と声をかけてみた。
バールのおばさんは「そうね、、、」と言って目を伏せた。
「お昼かしら?」と聞くと、
そばに居合わせた近所のおばさんが言いにくそうに、「彼女は亡くなったのよ」と教えてくれた。
聞き間違いだと思い再度聞き返し、嘘でしょ?と言うと、
その二人はさらに悲しそうに目を伏せて口ごもった。
もうあなたは知ってると思っていた、と。
意味がわからない。
バールのおばさんが座れと椅子をゆずり、コップに水を汲んできて私に渡す。
近所の人たちが、なぜこの日本人は泣いているのだ?とおばさんにたちに質問しては通り過ぎる。
だって、一か月ちょっと前に会った時にはあんなに元気で、ひとしきりどうでもいいような噂話をして、来年もカーニバルでは私はまた3つ4つのチームでバイアーナで踊るから、あなたも一緒に出ようね、なんて話をしていたのに。
その時の私の急なお直しのお願いにも、わざと口をパクパクさせて慌てたフリをした後、期日までにやってあげるから任せなさいって胸を叩いて言って、予想以上に綺麗に仕上げてくれたのに。
突然のことで感情をどう処理して良いかわからずその後の予定もこなさないままふらふらと近所を徘徊した後、いつもの通り道の彼女の家の3階の窓を見上げ、とりあえずビールを買って家に戻る。
マリアレーナの孫であるハファエルにメッセージを送った。
彼は学校にいながらも、
「彼女は僕たちを置いて行ってしまったよ、アミーガ、でもそれを除けば僕は元気だよ、心配しないで。」
と返事をくれた。
こんなに突然に行ってしまうなんて、さよならも言わずに、と書くと、
「本当にそうだね、だけどどうか悲しまないで。あなたが感じている痛みは、彼女も感じているものだから。彼女は幸せだったよ、そして彼女は僕らみんなの幸せを変わらず願ってる。だから泣かないで。彼女を恋しく思っているのはみんな一緒だから。愛してるよ。」
本当におまえは14才なのか。
と思うくらいできた返事だ。
まぬけなことに私が知った今日は彼女の死から1か月近く経っているので、彼の中でもう今はある程度心の整理ができているのだろう。
彼のことを心配して連絡をしたつもりが、逆に慰められてしまい非常に申し訳なく思う。
家族の中でサンバ狂いは彼女と彼だけで、常に一緒に行動を共にしていたおばあちゃん子だったので、いくらしっかりして見えても彼の悲しみのほどは想像に難くない。
彼がそこそこ大人になってきた年齢であったことはまだ救いだ。
彼が小さい頃に離婚したお母さんは他に所帯を持って暮らしているので頻繁に会うことは叶わず、たまたま私と出かけたとき、
お母さんはこの近くに住んでいて、日本人の友達を紹介するために今から行っていいか聞いてみるので携帯を貸してくれ、
と私をダシにして連絡をするもすげなく断られ、がっかりしていた彼の5年前の小さい背中を今でも覚えている。
子供らしいわがままや憎まれ口をおばあさんに言って時にはケンカしながらも、お母さん代わりに日々彼を愛し面倒をみて育てていたのはまぎれもないマリアレーナその人なのであった。
むろん彼だってそんなのは百も承知のはずだ。
マリアレーナはハファエルのおじいさんである昔ながらの考えを持つ元夫がいたころはかなり窮屈な目にあっていたらしい。
こっちの地区にはごろごろ転がっているような話ではあるが、まともに働かないくせに束縛だけはひどくえばっていて、彼女の意思は何一つ通らない上殴られたりすることもしばしばで、
『実はカーニバルに参加し始めたのはここ20年くらいの年を取ってからなの!前から好きだったんだけど、旦那さんが許してくれなくってね。だから大好きなサンバに参加できるようになったのも、旦那さんが亡くなってからのことなのよ。もう悠々自適といきたいところだけど、まだ孫も小さいし、元気なうちはがんばって働いて死ぬまで自分の好きなことをするの!』
と話してくれていた。
あるサンバ関係の催しで二人でリオの中心街へ行くときに道に迷い、彼女は私の日本人の孫よ、と周りに嘘をつきながら歩いたのがとても楽しくて、人混みの中危ないからはぐれないようにとしっかり繋いでくれた手が嬉しかったことを思い出す。
だがその彼女はもういない。
いつもガハハと豪快に笑っていて、おどけてもうちょっと痩せなきゃなんてお腹をさすりながら日に焼けたしみだらけの顔が笑顔になるそのたびに鼻毛が飛び出るのも、いろんな苦労を乗り越え年輪を重ねてきた女性として私にはとても頼もしく愛らしく思えた。
約1か月ほど前の地元チームの練習時中にトイレで心臓発作で倒れ、そのまま還らぬ人となったということだった。
ある意味壮絶な、そして彼女のサンバ人生で本望である去り方かもしれない。
私がいつも想うのは、有名人でもなく、ただサンバやそこに関わる仲間が大好きというそれだけで、でもものすごい情熱でカーニバルを支えている名も無い人たちのことだ。
それはブラジル人であれ、日本人であれ同じことだと思う。
偉そうに聞こえてしまうかもしれないが、日本でサンバを愛する人たちにも、いつだってそういう彼女のような人たちがいることを知っていて欲しいと思う。
買ってきたたくさんのビールの最後の一本を開けたら、 スコールのような雨が降ってきた。
大好きなマリアレーナに献杯