新しい家での暮らしが始まった。
駅から遠く、地下鉄を使うとかえって時間がかかるため、絶賛彼女募集中のレズの友人(本当にそんなんばっかだな)が景品で当てて放置してあった自転車(山本さん)を譲り受け、トレーニングも兼ね通勤時には自転車に乗り風になることにした。
大家のレオと恋人のファビオは普段は中距離バスで1時間以上かかる街におり、メキシコ人のセバスチャンは近くで働いているが学校なども通っていて忙しいので、一日誰とも顔を合わさないような日もある。
人恋しい気持ちになることもあるが、自由に広い居間ででたらめに歌ったり踊ったりもでき、誰にも気兼ねなく暮らせるのは楽ちんだ。
誰か家にいても一人でいたいときは部屋にこもっていれば皆放っておいてくれるので完全に自分の時間も空間も守られる。
顔を合わせ余裕があれば一緒に料理を作ったり、お互いの話をしたりできるのも楽しい。
住み始めて初めて迎えた日曜日は、私がブラジルで最も忌むべき日のひとつである『恋人たちの日』であった。
家族も恋人もいない者にとってつらい日ナンバー1はもちろんクリスマス、2位は年越し、3位誕生日、4位がこの恋人たちの日だ。
欧米のバレンタインデーのような日で、恋人たちがプレゼントをし合ったりいちゃいちゃする日なのであるが、誰が考えたのか知らないが余計なことをするのは金輪際やめていただきたい旨強めに申し上げたい。
ひとりでずっとブラジルに住んでいるので、そういったイベントの時には前々からちゃんと警戒し心の準備をして、
え?今日てなんかあるんすか?✖、、バツ?、、マス・・・?何ですかそれ?はあ、自分日本人なんで、ええ、聞いたことないですね。
と、無理やりその日の存在自体を無かったことにしてやり過ごす術くらい心得ているのだが、
その他のイベントが年末年始に集中しているのにこの恋人の日は油断していた6月にいきなりボディブローをかましてくるので結構足にくるのだ。
今年ももちろん予定は無く、傷ついた体を引きずりながらよろよろしていたところ、レオの働くレストランにみんなで行かないか?というお誘いを受けた。
せっかくの恋人の日なのにお邪魔するのは悪いと思ったのだが、ファビオとレオの友達たちやセバスチャンとその彼氏(仮)も行くというので一緒に連れて行ってもらった。
そこには女子は私だけで『恋人たちの日』というより私にとっては『ゲイたちの日』となったが、料理もおいしくそれなりに楽しく、彼らの機転のおかげで九死に一生を得たりもしていた(おおげさ)。
このようにみんな大人で親切で優しいのでとても嬉しく思っていたある日、事件は起きた。
私が買って冷蔵庫に入れておいたビールが無いのだ。
バス・トイレ・キッチンは共同で、冷蔵庫もひとつなので共同で使っている。
どこを探しても無い。無いものは無い。
仕事で疲れた後に家でゆっくり飲もうと思って買っておいた言わば命のビールだ。
その日は家の中でもダウンを着込まないといられないほどに寒く、外は雨。
歩いて30秒のところに24時間のパン屋さんがあってビールも売っているし近くにスーパーもあるが、安いスーパーで買うより倍以上の値段がするので経済観念が発達していてお嫁さんにしたいタイプである私は、わざわざ歩いて、少し遠いスーパーに、女子の細腕で、重い思いをして、買ってきたなけなしのビール、なのであった。
夕食を作り終え、さて一緒に飲もうとうきうき冷蔵庫を開けると、
それが、無い。
私は吼えた。
たまたまそばにいたセバスチャンはそれまでごきげんにしていた私が冷蔵庫を漁り、その扉を閉めた時には鬼のような形相で吼えるのを見て明らかにひいていた。
彼曰く、僕ではないのでレオとファビオが昨日帰ってきたときに飲んだのだろう、と言う。
実は、オムレツでも作ろうと開けたら自分で買った卵が無くなっていたり、次の日天丼にしようと思って作り置きしていた天ぷらが紛失している、ということが既に起きていた。
その時もかなりイラッとしたものだが、今回はタイミングも悪くついカッとなってセバスチャンに思いの丈をぶつけた。
何か他人のものを使ったり食べたりするときはせめて聞いてからにしていただきたいものだ。
こっちも冷蔵庫の食材を無駄なく使うことに日々苦心してある程度の計画を立てている。ちゃんと考えて仕事帰りにスーパーに寄って値段を吟味して用意をしているのだし、重いし、家からいちいち買い直しに行くのはかなり面倒くさいので本当にやめて欲しかった。
でも、ブラジル人と住むということはそういうこともあるだろうとある程度の予想はついていたし、100円程度のビール2,3本のことで目くじら立てるのも自分でも人間小っちゃいよね、と恥じる気持ちはあったので自分の正当性の確認のため日本の友人に連絡を取る。
このあらましを早速LINEで告げると、
「それは腹立つ。殺人事件になるな。」
と太鼓判を押してくれた。
さすが呑兵衛の友人は話が早い。
話し合いの結果、ビールや買ってきた食べ物に謎のおふだを張って割印をする、という手法で気味悪がらせやつらの手を止めさせるのが最良であるということで落ち着いた。
結局後日たぶんセバスチャンから聞いたのであろう、ファビオから謝りの言葉と飲んだ本数分のビールの返還があったので今のところまだ割り印はしていない。
手癖悪りぃな、とは思うがブラジル人らしくおおらかで、人のものと自分のものの区別が曖昧だったり、ただ先のことをあまり考えていないだけのようだ。
冷蔵庫の彼らのものも、自分のものだと思ってなんでも使っていいからね、と言ってこられたりするとケチな自分が恥ずかしくなる。
また、食器の洗い物が溜まったまま放置してあり、
ここで私が洗ったら負けだ、一応女子だからと言って、私は家政婦じゃないんだから!
と勝手に臨戦態勢に入ってぷりぷりしていると、
後日私が片し忘れた洗い物を当然のように綺麗に片づけておいてくれたりして自分の度量の狭さにまた消え入りたくなったりするのだった。
ファビオはまだ若いので経験不足や詰めの甘さを感じさせるところはあるが年より落ち着いていて非常に親切で、
「ポルトガル語でわからないところがあったら何でもちゃんと聞くんだよ?」と表現を変えて丁寧に説明してくれたり新しく若者言葉を教えてくれたりするのでとても有り難い。
私のこともいろいろ気にかけてくれるし、レオのことを支えようといつもしていて、レオを愛しているんだなあということが伝わってきてほんわかする。
レオはファビオの実家のある街でコックさんをしている。
週に1回しか休みが取れないので、彼とはゆっくり話す機会はそんなにはないのだが、住んでいるうちに少しずついろんなことがわかってきた。
この写真がレオだ。
この写真が飾ってあったので、この超絶ハンサムは誰だ?と聞くと、
レオがモデルをやっていた若い頃のものだという。
彼は身長が高く手足も長く顔が小さく骨格が美しいので、それを聞いた時にああ、やっぱそうか、という気はした。
どうやら彼が育ちが良いのも事実で、彼のおじいさんは大地主の大金持ちで、お父さんは金持ち、そして彼の代ですっからかんになっているという状況のようだ。
育ちも良く容姿にも恵まれ一時は有名な俳優と付き合ったりと派手で贅沢な暮らしをしていたが、年も取って仕事も激減し運にも見放されお金も無くなりすさんだ暮らしをしていたころにファビオと出会い、彼の献身的な助けのおかげで学校に通いコックの職を得て働いているということだった。
彼はこの住人の中で最年長なのだが、一番子供みたいなところがある。優しくて人はとても良いのだが坊ちゃん特有の浮世離れしたところがあるようだ。
私がこの家に住んで2か月近く経つが、実はもう2回家のwifiが止められている。
ブラジルだからこういうこともあるのかと原因を究明すべくいろいろ試したのだが、何のことは無い、奴がお金の支払いを滞納していただけであるということが発覚した。1か月や2か月では止められる訳はないので、2回目に止められた時に前回の明細を確認すると、もう7月なのにやっと2月分と3月分の料金を払っただけでまた放ってあったらしかった。
そりゃ、止められるわ。
できるだけ自分で何とかしようと下手くそなポルトガル語でインターネットの会社に電話してはたらい回しにされイライラしていた私の時間と労力を返して欲しい。
それに、私はちょうど月末に引っ越しをしたので毎月月末に家賃を払うことを友人も立会いのもと取り決めてあるのだが、
君の支払い日を過ぎているので払って欲しい、と月半ばに言ってきたりする。
聞けばセバスチャンとは毎月15日と決めたのに、やはり月初めにねえまだ?ちょーだい、と言ってきたりするというのだ。
ボケ老人か。
それで振り込んでくれと渡された振込先の番号が一つ間違っていたりする。
そう、こいつは結構なポンコツだ。
そんな時、2週間に一度来てくれている掃除の人のお金を50レアルほどくれ、と言ってきた。
初めに確認したときにすべて家賃に含まれているという話になっていたはずだ。
その時はそうメールで返信してつっぱねたというのに、
その2週間後もまた50レアル払ってくれ、と言ってくる。
また何言ってんだ、本当にポンコツだな。。。
立ち会ってくれた友人に、ねえ、掃除代も全部家賃に含まれてるっていう話だったよね!?と鼻息荒く自信満々に確認してみた。
うん、やっぱり全部込みでこの値段だって私確認したもん。絶対に間違いない。彼女もその時いたしレオと話すときに証人になってもらおうっと。やっぱり第三者を立ち会わせておいてよかったな。。。
ところが、彼女の返事は私の予想とは全く違うものだった。
ううん?違うよ。他は全部込みだけど、掃除代だけは別にみんなで分けて50レアルを2週間に一回払うって話だったよ。
え~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。
本気で自信満々だったので心の底から驚いた。
何度反芻しても片鱗も姿を現さなかったその記憶が、急によっ!やってる?とのれんをくぐり抜けるように軽快に顔を出してきた。
そうだ、あのトイレの前の廊下のとこで、そういえばそう言われたわ。。。ちっ、なんだよ、家賃が予想したより高くついちゃうじゃないかー、って、そういえば、、そのとき、、思ったんだ、、った、、、、。
脳よ。
どうせ思い出すのであればもっと早く思い出させてくれないか我が脳よ。
ひとつ再確認できたことは、
私の絶対に間違いないは絶対に間違いだ、ということだ。
私とレオのポンコツ合戦は続く。